宇治神社と宇治上神社の違いは?菟道稚郎子とは誰なのか

宇治の神社にお参りに行く時、近い場所に「宇治神社」と「宇治上神社」という似たような名前の神社が二つあることに戸惑われたことはありませんか?

宇治神社の境内の鳥居

今回は宇治を代表する二つの神社である宇治神社と宇治上神社が主従関係である事と、その二つの神社に共通して祀られている「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の扱いが異なる事について解説します。

莵道という名前は現在の京都府宇治市の古代表記であり、ここから宇治地域と関連が深い人物であることが伺われます。

まず宇治上神社ですが、本殿は平安時代後期に作られ、世界最古の神社建築としてユネスコの「世界文化遺産」に登録されています。

2004年に行われた年輪年代測定によると、1060年ごろの材木が使われているとされ、1052年に創設された近所のもう一つの「世界文化遺産」である平等院(10円硬貨に描かれているので身近ですね)を守るための鎮守社としての役割があります。

規模も宇治上神社の方が宇治神社より大きく、祀られている神様は15代天皇応神天皇、16代天皇仁徳天皇、菟道稚郎子の三柱になります。

ちなみに(はしら)は神様を数える単位です。「鬼滅の刃」でも有名になりましたね。

次に宇治神社ですが、本殿は鎌倉時代の後期と比較的新しく、国の重要文化財に指定されていますが、宇治上神社に比べ規模が小さく、祀られている神様も菟道稚郎子の一柱のみになります。

宇治神社

この違いは何でしょうか? 歴史を紐解くと、明治以前は宇治上神社と宇治神社はもともとは一つの神社であり、明治以降に分離されたという事です。

分離された理由について、明治時代に政府主導で全国各地の神社の整理が行われたので、その影響を受けたものと考えて良いと思われます。

宇治上神社と宇治神社の関係に話を戻すと、かつては宇治上神社は上社・本宮と呼ばれ、宇治神社は下社・若宮と呼ばれていたようです。

このことからも、宇治上神社と宇治神社は対等な関係というより、主従の関係にあると考える方が自然だと思われます。

それではそれぞれの役割はどうでしょうか? 二つの神社に共通して祀られている菟道稚郎子について調べてみましょう。

莵道稚郎子は15代応神天皇の皇子で、16代仁徳天皇の異母弟です。学問に優れ非常に優秀であったため、応神天皇から後継者として期待されました。

莵道稚郎子の家族

図は左から長男・父・稚郎子です。

序列を重んじる儒教の影響を強く受けていた莵道稚郎子は弟である自分が王位につくと国が乱れると考え、3年の辞退の後に異母兄である仁徳天皇に皇位を継がせるために自害という悲劇的な最後を遂げます。学問に長じると残念なこともありますね。

それはさておき、莵道稚郎子の自害が応神天皇と仁徳天皇の両者に強い禍根を残してしまったことは容易に想像がつきます。

3柱を祀った宇治上神社が、その禍根を断つための役割を果たしていると考えても良いと思われます。

そして宇治神社はどのような役割を果たしているかというと、その判断が今日の我々から見てどうかという事はさておき、「日本の為に命を絶った才能豊かな皇族の記憶を留める」という事になるのではないでしょうか。

いかがでしたか? 宇治の神社仏閣巡りをする上でこの記事が何らかのお役に立てたら幸いです。

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宇治神社の近く、さわらびの道で起きた不思議な体験の動画です。

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