高野山奥の院〜有名人や多様なお墓が建てられた理由

和歌山を代表する聖地である高野山、その開祖である空海が祀られている奥の院へお参りするために設けられた参道の横には多くの墓が建てられています。ここを奥の院墓地と言います。

高野山に墓地として納骨する風習は鎌倉時代から始まりましたが、江戸時代初期に徳川家康が高野山を墓提所と定めた事から、奥の院の近くに先祖供養のために建てられた諸大名の五輪塔が所狭しと建てられるようになりました。

その中に近代以降に建てられた有名人のお墓や企業のお墓が並び、現在の高野山の特徴的な光景を構成しています。

有名人のお墓には大原麗子主演の大河ドラマで有名になった春日局、市川海老蔵と関わりの深い歌舞伎役者の市川団十郎(初代)、ジャニーズ事務所の創設者ジャニーズ喜多川などがあります。

これらのお墓にはどのような特徴があるのでしょうか?併せて、現代におけるお墓の役割も紹介してみたいと思います。

両墓制と他界観

まず、高野山の奥の院墓地を語るうえで、両墓制という概念について触れておく必要があります。

両墓制とは、遺体を埋めるお墓(埋め墓)とお参りする為の墓(参り墓)を分ける制度の事で、高野山に建てられたお墓の多くは実際に納骨されているわけではなく、お参りする事を目的とした参り墓になります。

なぜわざわざお参りする為のお墓と遺体を埋めるお墓を分けるのでしょうか。
土葬を風習とする文化では衛生上の問題で遺体を埋める墓をお参りする墓と別にする必要がありましたが、高野山の場合は他界観が関連していると考えられます。

他界観とは、今我々が住んでいる世界とは別に霊魂や精霊といった超自然的な存在が住んでいる世界が存在するという世界観です。

日本の仏教には、弥勒信仰があります。それは仏教の開祖のお釈迦様が入滅後の56億7千万年後に弥勒仏がやって来て人々を救済するという信仰です。
空海もその信仰を持っていて、自分は入定後はその時まで高野山で人々を見守ると弟子に語りました。

亡くなった後の世界では56億7千万年後の弥勒菩薩による救済を空海のお膝元で待ちたいという思いがこの墓地を形成し出したのではないでしょうか。
ここで言う亡くなった後の世界というのが他界観になります。ジャニーズ喜多川など、有名人のお墓もどちらかと言えばこちらに当たるのではないでしょうか。

近代以降の企業墓の隆盛

また、近代以降に増えることになった企業墓は、もう少し事情が複雑になります。

企業墓が立ちだしたのは1938年、現パナソニックの松下幸之助が従業員への慰霊塔を高野山に建てたのが始まりでした。松下は従業員への感謝の気持ちとして慰霊塔を建て供養を始めました。
これは日本の企業が社員を家族のように捉えてきた歴史のひとつと考えてよいと思われます。

パナソニックに限らず、企業墓にはそれぞれの企業の特徴が反映されており、墓石のデザインにはその企業らしさが表現されています。

例えば、シロアリ駆除の企業の集まりがシロアリ供養塔を設立し、UCC上島珈琲株式会社がコーヒーカップ型の石造りのお墓を建てています。

これらのお墓は単なる供養の場としてだけでなく、企業の社会的な役割や貢献を後世に伝える記念碑としての役割も果たしているといえるでしょう。

さらに、高野山の奥の院墓地には、戦没者慰霊や災害犠牲者といった公共性の高い墓地も含まれています。奥の院墓地には、歴史を忘れないための場としての意味合いもあります。

現在におけるお墓の役割

現代におけるお墓の役割は、多様化しています。従来のお墓は家族単位で建てられることが一般的でしたが、少子化や核家族化、さらには価値観の変化によって、新たな形の供養が模索されるようになりました。

その中で注目されるのが、シニア総合サポートセンターと、NPO法人いきいきつながる会のお墓です。

シニア総合サポートセンターは、法律事務所が母体で、財産管理、成年後見、葬儀・納骨、身元保証など法的支援を提供し、高齢者が亡くなった後の事務管理に注力しています。

いきいきつながる会は、家事代行、通院付き添い、見守りなど生活支援を中心に提供し、地域密着型で柔軟な対応が特徴です。

いずれも高野山の奥の院墓地に供養塔がありますが、少子化や核家族化が進む中で、一人暮らしの高齢者や身寄りのない人々が増えていることから、こうした新しい形のお墓が求められるようになったと言えます。

まとめ

いかがでしたか?
空海が祀られている聖地である高野山の奥の院墓地は、江戸時代に多くの大名の五輪塔が建てられましたが、有名人のお墓を含めてこれらのお墓は弥勒信仰に基づく他界観と関連している可能性があります。

近代以降は企業の墓が増え、従業員の慰霊や企業の社会的役割を示す記念碑としての役割も果たしていますが、現代では少子化や核家族化の影響で、新しい形の供養や墓地の役割が模索されている状況です。

このように、高野山の奥の院墓地は、近世から現代までの日本人の生活を反映し、その多様性は時代ごとの価値観や文化に応えてきた結果と言えるでしょう。

最後に実際に高野山で体験した不思議な出来事をご紹介します。

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