大善寺と六地蔵〜なぜ6つなの?その意味と役割を解説

京都には六地蔵という地名があり、道路は外環状線、奈良街道、新小栗栖街道が走り、鉄道もJR、地下鉄、京阪と3つが通る京都における交通の要所になります。

それでは六地蔵とは何を意味するのでしょうか?
今回は六地蔵の発祥のお寺となった大善寺とその起源、そして現在まで六地蔵で受け継がれている伝統とそれを支えている人々の思いをご紹介します。

六地蔵の意味と仏教の世界観

まず、六地蔵という言葉は地蔵の2つの単語に分けられます。

六という数字の由来は六道という概念から来ています。

人は天界から地獄界まで6つの世界(六道)を、生まれ変わりをしながら(輪廻転生)巡って行くという世界観です。
仏教が始まった頃のインドでは、バラモン教という宗教が主流で、バラモン教では輪廻転生が信じられていました。

そして輪廻転生を模した形で、カースト制度という社会階級がインドに根付いていました。

これはバラモン教の後にインドで定着したヒンドゥー教にも引き継がれています。

王族に誕生した釈迦は人々を苦しみから救うために階級を否定し、王族のみならず、最下層の人も同様に弟子にしました。それが仏教の起源です。

大善寺と地蔵像

次に地蔵とは、学術的には地蔵菩薩といい、道祖神(道の神様)的な性格を持つ仏教の信仰の対象になります。

地蔵菩薩が現在のような形になったのは、地蔵にまつわる言い伝えに閻魔大王が登場する事から、仏教が中国に伝来した際に、道教の冥府思想(人は亡くなった後に冥界に行き裁きを受ける)と融合したと考えられています。

輪廻転生の六つの世界(六道)を巡り人々を救う存在、それが六地蔵の意味となります。

六地蔵の発祥には、百人一首の詠み人、小野篁(おののたかむら)が関わっています。

小野篁は平安時代の役人、詩人で、「昼は都に仕え、夜は冥界で閻魔大王に仕えていた」と言われています。

小野篁が京都市東山区にある六道珍皇寺の「冥土通いの井戸」から現世と冥界を行き来していたという逸話は、「月の穴」を通じて冥界と現世を行き来してエンマ大王と渡り合う現代のNHKアニメ、「おじゃる丸」に影響を与えたという指摘があります。

小野篁と六地蔵の逸話は以下のようなものです。

小野篁はある日高熱を出し意識不明となり、夢を見ました。

そこで六道を巡り人々を救う地蔵菩薩と出会い、人々に自分の事を伝えてほしいと頼まれました。

意識を取り戻した小野篁は桜の木から6体の地蔵を彫り、大善寺というお寺に収めました。

これが六地蔵の始まりです。

その後、大善寺に収められていた6体の地蔵像は平清盛の命により京都の各所に分けて配置されています。

大善寺の現在

大善寺は現在もその姿を伏見区に残しており、お寺の境内にある地蔵堂には重要文化財としてその時に彫られた地蔵像が祀られています。

実際に大善寺を尋ねたところ、ひっそりとしていて、観光の名所というより地域の住民の先祖供養のお寺という面が強いようです。

そんな大善寺も、夏の地蔵盆の頃には賑わいを見せます。地蔵盆とは地蔵菩薩の縁日(結びつきが深くなる日)で、室町時代に大きな発展を遂げたと言われています。

子供を守るお地蔵さんと地蔵盆、六地蔵巡りの目的

地蔵にまつわる民話でよく知られているのが賽の河原の石積みの話です。

親より先に亡くなった子供がその罪?を償うべく三途の川の手前の河原で血まみれになって石を延々と積み続け、積んだ石塔も鬼に壊されてまた最初から積み直しになるという話がありますが、それを救いに来るのが地蔵菩薩の役割です。

「お地蔵さん」こと地蔵菩薩はいつしか子供の守り神として人々に信仰されるようになりました。

地蔵盆の時期、8月22日〜23日にかけて行われる六地蔵巡りは平清盛の命により京都の各所に祀られた地蔵にお参りし家内安全、無病息災を祈る行事で、800年ほど続いています。

京都の地蔵盆では、子供が産まれるとその名前を書いた提灯を奉納する風習があります。
そこには子供の無事を祈る親の気持ちが強く反映されているのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?
ここでは仏教での六地蔵の意味と地蔵菩薩のいわれ、その役割を解説しました。

子供を持たれている方で8月に京都旅行を検討される際には六地蔵巡りも候補に入れてみる事をお勧めします。

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